ジャイアンもスネ夫もいた日の蝉時雨 自分の書いた句を悪い例にするのもお恥ずかしいのですが。
以前ここに載せた俳句を何故突然削除したのか、恥をしのんでお話します。
実はこの俳句、自分としてはかなり気に入っておりました。
ところが、俳句の基本中の基本を間違えていたわけですね。
どこが悪いのかというと、中七の字余りです。
俳句というのはみなさんもご存知のように、「五・七・五」の文字数で作るわけですが。この、真ん中の七文字の字余りは、特にタブーなんだそうです。
「着物の帯が緩んだように」全体のしまりがなくなってしまうのだそうです。
そんなことも知らないで書いていたんですね。お恥ずかしいです。
そんな訳で、ついでに新聞に投稿して掲載されなかった俳句も、載せておきましょう。
街宣車背広ひしめく残暑かな 毒茸?キノコに問いし吾が女房 
写真は文章とは関係ありません。近所をうろついていた他所の猫。名前はウーとつけました。
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去る11月19日に赤城山が初冠雪しましたので、その時の写真を載せてみました。

右側の頂上の所だけ白くなっているのですが。これじゃ良く見えませんね。
積もった場所はよく判りませんが、長七郎か鳥居峠のあたりでしょうか。
このくらいのことでいちいち感動していてもしょうがないのかも知れませんが、我が家から肉眼で見えるくらいの距離の所が、北海道並みの厳しい気象というのも、考えると不思議な感じですね。
そこで、俳句を無理やり作ってみました。
雪風に波頭は寄せて赤城山
赤城山が大きな波のようになったという意味ですが、大げさでちょっと安易です。
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私の気のせいなのか、あるいは銀杏という木がもともとそうなのか。
近くの公園の銀杏が早くも黄葉(銀杏の場合こっちのこうようなのだそうで)を始めたような気がするので、写真に撮ってまいりました。
この銀杏は毎年八月の末には、こんな感じの色になります。
銀杏という木がもともと染まるのが早いものなのか、それとも、そもそもこれは黄葉でもなんでもないのか、私には判りません。
とりあえず俳句でも。
斎場に灯る銀杏や魂送り
どうも銀杏という季語はないらしくて、「銀杏黄葉(もみじ)」となるらしいのですが、文字数の多い季語は、初心者には辛くて強引な句になっています。
黄色い銀杏の木を送り火に見立ててみたのですが、自分でもちょっと大げさで恥ずかしいです。
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4日頃の写真 カメラを向けると隠れてしまう

5日 かなり大きくなった

昨日の写真 いかにも窮屈そう

今日 二羽飛び立ってしまった 残りで背比べをしているところ
番外編 親と一緒に映っている、左端が親

燕の雛って成長が早いですね。
今年二組目のツガイでした。
前の家族はちょっと目を離した隙に、全員いっぺんに飛び立ってしまいました。
挨拶もありませんでした。
今回は成長に差があるようです。
でも、今日明日には居なくなってしまうでしょうね。
しばらく賑やかだったのに、寂しくなりますね。
そこでまた一句。
夏燕去りて軒下風残し
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暗闇の奥の外の世界が、まるで異次元のような感じになっている。


写真は合気道の練習場の近くにある、使われていない工場です。
児童文学の名作「ふたりのイーダ」の作者、松谷みよ子さんは、持ち主の人が亡くなった後、いつまでも残っている食器や椅子や、動いている時計に心を惹かれるのだそうですが、私もお盆の季節になると、こんな、ものすごい人の気配を感じる残骸や、廃墟のような場所に、不思議な幻想を抱いてしまいます。
人の手垢や生活臭が散々染み込んだ建物や道具というのは、真夏のかんかん照りがよく似合うと思います。
子供の頃、私の家のすぐ隣にとても大きな工場がありまして、そこの社長の長男が、私と同級生だったのですが。
オイルショックの時に、ある日忽然と家族全員居なくなってしまいました。
社長の邸宅の庭の池で泳いでいる錦鯉すら、そのままで、家と工場だけが空っぽになってました。
使われなくなった工場は、その後数年間無人で放置され、私達の遊び場になったのですが、昨日まで一緒に遊んでいた子が突然いなくなるというのは、子供心にも不思議でした。
そんな訳で、今日は俳句でも書きましょう。
廃工の正午を告げし蝉時雨
俳句は素人なので、「俳句のようなもの」です。
誠にお粗末でした。
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