今年最後の日記が↓ではちょっとな〜。なんて思いまして。
最後は写真日記でも飾ろうかと思ったのですが。
どうも、調子が悪くて(多分回線の)アップできませんでした。
無料サービスなのだから、文句を言えた義理でもないですね。
今年はあまり良い年ではなかったな、なんて思っていたのですが。
なんと、先日、俳句が二度目の新聞掲載という名誉に与かりまして、人目もはばからず万歳をしてしまいました。
しかも、占いによると来年は私にとってとても良い年なのだそうで。
早くもその予兆として、東京マラソンの出場権を獲得できまして。
どこまでよい歳になってしまうのかと、今から不安でいっぱいです。
自慢がましいお話ばかりで恐縮ですが。
来年もよろしくお願い申し上げます。
当然今年もまだ、よろしくお願いします。
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年末になりまして、恐らく今日が最後の日記になるのでしょうが、たまには自分の意見らしいことでも書いてみようかと思いまして、今日は少し辛いお話になります。
今年の流行語の一つにKYという言葉かありました。
今更言うまでもなく、「空気が読めない」という意味ですね。
先日、このKYについて「そういう子に対するいじめにつながる」なんて言っている人がいたのですが。
私はまったく逆だと思います。
では、例えばKYという言葉だけを封印して、同じ意味のことを言ったらどうでしょうか。
「お前空気読めよ」「場所柄をわきまえろよ」もっと言えば「行間を読めよ」「逆説ってもんが解らないのかよ」。
私が言われる立場だったら、こちらの方がよほど傷つくと思います。
今の若い人たちは逆に優しいのだと思います。
このような意味のことを、優しくオブラートに包んで、「お前KYだよ」と、むしろサラッと言っているわけですね。
また、更に言うなら、このKYという言葉が流行るくらいだから、KYな人が多いのも現実なのでしょう。
それがどういうことかと言えば、このKYな人々からイジメを受ける人もいるというのもありえるということです。
例えばKYを放置すると、「相手の意見を正しく理解しなくても良い」という理屈になります。
私は以前に、小説のブログを書いていたことがあったのですが、時々、コメントに的外れな感想を書かれて挙句の果てに「つまらなかった」などと斬り捨てられて、とても傷ついた経験があります。
そういう人に言えることなのですが。
「行間を読む」とか「逆説を理解する」という習慣が極めて欠如しているというか。
殺人事件を扱ったサスペンスが、わざわざ「殺人はいけないことですから」なんて書くわけないでしょう程度の行間も読めない人だったりするので、非常に困ります。
相手の話を理解する前に自分の主張だけするというのは、充分嫌がらせであり、イジメだと思うのですが。いかがでしょうか。
そういう人に、多少なりとも相手を傷つけずに反論するには「あなたKYですよ」という方が余程やんわりしているのではないかと思います。
では、日本人はいつからKYになったのか。
あくまでホンの一例ですが。
バブルの頃、ドラマの影響などで、日本のお兄ちゃん達は女性を口説くのが、急激に上手になったように思われます。
女性に対して「綺麗だ」とか「素敵だ」とか「愛してる」なんて上手に言える男性が急に増えましたし、彼らはよくモテました。
逆に、上手に言葉で言えない野暮な男は、ソッポ向かれるようになりました。
よく言えば欧米的ともいえるのでしょうが。
「思ったこと全てを口に出す」というこの習慣は、「口に出さない人は何も考えていないのだろう」という解釈にすり替わり、日本語の良いところも奪ってしまったのかも知れません。
そう言えば近頃のヒップホップとかラップの歌詞って、まるで言葉の洪水みたいに、徹底的に言葉にしますよね。
そしてもう一つ。
その時代とほとんど時期を同じくして。
放送禁止用語などの「言葉狩り」が、急速に進められたのも原因していると思います。
他人の身体的な特徴や差別用語など、確かに耳障りで、不快になることも多いですが。
臭いモノに蓋だけして、表面的に綺麗な言葉しか使わなくなったあの時代を境にして。日本人は逆説を想像しなくなったような気がします。
今回、「KY」という言葉だけを狩ろうとする考え方は、私には、あの時代に逆行するような気がしてならないので、つい長々とお説教がましいことを書いてしまいました。
今の若者って、大人が思うより偉いと思います。
私は本気で彼らの将来を期待しておりますよ。
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おそくなりました。
キリコが風邪をひいてしまい、クシャミのし過ぎで鼻血まで出したものですから。
パソコンを覗く気分にもなれなかったのですが、ようやく食欲も出てきて、回復に向かいはじめたようなので、話の続きを書きます。
結論からいいますと、ベンジャミンはその晩に死んでしまいました。
あまり気分の良い話ではないので、要点だけ書きますが。
私はベンジャミンを箱に入れて、家の中に連れ込んで、血を拭いたりなど一応最低限の手当てをしてみたのですが。彼は一時間ほどで息をしなくなりました。
念のためそれからしばらく、何度も確かめたのですが、彼の呼吸は止まったままで。翌朝には冷たく硬くなっていました。
ですが、驚いたのは、彼は私が死んだと思っていた後もかなり箱の中で動いた形跡があり。苦しみもがいた血痕が箱に付いていて。
私はなんだか、責められているような気分になるのでした。
あの時の私には、彼を動物病院に連れて行くという選択肢はありませんでした。
こんな小さな家庭でも、一家の主としての責任がありました。
また、当時の妻は、極度の猫嫌いでしたから、私は一生猫を飼うまいと決めていたのでした。
余談になりますが、猫が嫌いという人の気持ちは私にも理解できます。
猫が嫌いな人にとって猫は、体格が小さいだけで、猛獣なんだと思います。
ところが、意外なことにこの時の妻は、怖がりながらも協力的で、本気でベンジャミンの心配をして、これが後に運命的な偶然を、いくつか惹き起こす引き金になったのでした。
それから数日経ち、私は再び家の裏の畑に例のベンジャミンの兄弟がいるのを見つけました。
(まだ生きてたのか)
私は戯れに「おい」と呼んでみました。
てっきり無視されるかと思いきや。猫は「なに?」とでも言わんばかりに、私を見ました。
私にとっては意外な反応だったので、まさかとは思いましたが。「こい、こい、こい」と、手招きしてみました。
いくらなんでも寄って来はしないだろうと思ったのですが、猫はなんとノソノソと走りよって来ました。
まさかの反応に私は逆にちょっと困って、何か食べ物でもやろうかと思い。
しかもまた偶然が重なり、その時だけ、自分のマラソン用にカルシウムのサプリメント代わりに買っておいた、食べる煮干があったのでした。
(ベンジャミンの兄弟なんだし、兄だか弟だか判らないけど、名前はアニーでいいや。)
なんせ、この時点でも猫を飼うつもりはなかったので、ネーミングもいい加減です。
私はしばらくこの猫を、東映特撮ヒーローものに出てくる女宇宙刑事みたいな名前で呼び。妻に内緒で餌を与え続けてしまうのでした。
つづく

アニーと呼ばれていたころのオスカル。怖い目をしている。
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オスカルとキリコ。まだオッパイが恋しいらしい。
そういえば以前、オスカルと初めて会ったときの話を書くと言っておきながら、忘れておりました。
当時私は、「もう一生猫は飼わない」と心に決めていたので、全体的に薄情な描写があることをお許しください。
オスカルと出会ったのは、何年か前の秋でした。
それも、最初に会ったのはオスカルではなく、オスカルの兄弟でした。
時間は、夕方の七時くらいだったと思います。
つまり、ニューヨークでは、朝の五時ということになります。(特に意味なし)
初対面の彼(彼女?仮に彼とします)は、見るも無残でした。
うちの接骨院は夕方七時まで治療の受付をするのですが、その、七時ちょっと前に来院された患者さんに、
「先生、入り口の所で女子高生が集まって、何かやってたよ」
と、教えてもらったのが事の始まりでした。
「女子高生ですって?」
私は大急ぎで外に出てみたのですが、それは別に集まっているのが女子高生だからというわけでは、ありません。
そして、その頃ニューヨークでは。(ちょっとしつこいかな)
外では三人の女子高生が輪になって、自分たちの足元を覗きこんでいました。
「何してんの君たち?」
私が声をかけて彼女たちが振り向くと、人垣に隙間ができて、真ん中に横たわっていた彼の姿が見えました。
彼女たちは再び足元に視線を移して、
「猫が・・」
とだけ言いました。
それ以上は言わなくとも、大体の見当はつきました。
小さな子猫が一匹、瀕死の状態で、横たわっていたのです。
恐らくうちのすぐ横の道路で、車に轢かれたのでしょう。
それは、夕方の暗闇の中でも、瀕死と判るほど、ひどいありさまでした。
上唇から目のあたりまでは、まるで鋭いナイフで斬られたように裂け。パックリと割れていて。
下半身は潰れて、血まみれになっていて、正視できないほどに痛々しく、目はどこか遠くをにらみつけるように見開いて、まばたきもしませんでした。
そして、倒れている場所は皮肉にも、私の接骨院の敷地に数センチほど入った所でした。

キリコ。狭いところが大好き。
(困ったな)
残酷なようですが、これが私の偽らざる正直な気持ちでした。
その時の私には、彼はすでに死んでいるように見えました。
「ごめん、まだ仕事が残っているから」
私は狼狽しながら、彼と彼女たちに背を向けました。
常識で考えるなら、「仕事だから」というのは、極めて正当な理由ではあるのですが。
なんだか逃げ口上のようで、後ろめたかったのも事実でした。
仕事が終わって再び外に出てみると、もう女子高生たちもいませんでした。
それは、当然といえば当然の話です。
誰だってかわいそうに思うのは当たり前なのでしょうが、だからといって誰も家に連れて帰れはしないというのも現実です。
彼女たちを責めることはできないでしょう。
私は少し躊躇しながら、思い切って彼の首をつかんで持ち上げようとしました。
すると。
彼はなんと動いて、「フーッ」と唸り声をあげました。
(生きてるのか)
正直私は前にも増して困ってしまい、心底困り果てました。
「名前はベンジャミンでいいかい?」(今便宜的に名前をつけただけで、実際はこんなひどいこと言ってないですよ)
「フーッ」

箱を与えると狂喜する。
私の家の敷地で死んだのも何かの縁かと思い、我が家の庭の隅にでも埋めてやろうかと思っていたのですが、仕方なく箱に入れて事切れるまで屋根くらいは貸してやることにしました。
薄情なようですが、正直、それがその時の私には精一杯の親切でした。
「フーッ」
ベンジャミンは、尽きかけた弱々しい体力と意識で、何度も私に怒りをぶちまけました。
それは、彼を殺した車を作り出した人間全てに対する怒りを、私個人に向けているのでしょうが、それも仕方のないことなのでしょう。
「あれ?」
その時遠くの暗がりの中で、何かがジッとこちらを見ている気配に気づきました。
それは、ベンジャミンと同じ模様をした、小さな子猫でした。
つづく

オスカルも一緒に入ったりする。
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ジャイアンもスネ夫もいた日の蝉時雨 自分の書いた句を悪い例にするのもお恥ずかしいのですが。
以前ここに載せた俳句を何故突然削除したのか、恥をしのんでお話します。
実はこの俳句、自分としてはかなり気に入っておりました。
ところが、俳句の基本中の基本を間違えていたわけですね。
どこが悪いのかというと、中七の字余りです。
俳句というのはみなさんもご存知のように、「五・七・五」の文字数で作るわけですが。この、真ん中の七文字の字余りは、特にタブーなんだそうです。
「着物の帯が緩んだように」全体のしまりがなくなってしまうのだそうです。
そんなことも知らないで書いていたんですね。お恥ずかしいです。
そんな訳で、ついでに新聞に投稿して掲載されなかった俳句も、載せておきましょう。
街宣車背広ひしめく残暑かな 毒茸?キノコに問いし吾が女房 
写真は文章とは関係ありません。近所をうろついていた他所の猫。名前はウーとつけました。
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私はこう見えても、その昔、一応野球部に居たことがありまして。(ホントに居ただけですが)
弟は二人とも、甲子園の常連校にスカウトされて行ったという、輝かしい経歴を持っております。(私の経歴ではありませんが)
そんな私も、近頃プロ野球には、あんまり興味がなくなってしまい、テレビ中継などもめっきり見なくなっておりました。
でも、国際試合の一発勝負の緊張感って、やっぱり興奮しますね。
この三日間、胃が痛くなるほどエキサイトしました。
代表になって嬉しいかぎりです。
ところで。
最後の監督の胴上げ。
テレビでは何度もスーパースローで、繰り返しやってましたが。
プレーをリプレイするならともかく。
胴上げを何度も超スローでやる意味って、あるのでしょうか。
星野監督の歓喜の笑顔が、ものすごくゆっくりと、何度も宙に舞っている様が私にはちょっと面白くて、ついつられて大爆笑してしまって。
結局、あの場面が一番印象に残りました。
まあ、私も嬉しかったので、余計に笑ってしまったのですが。
本当にあの人は、名監督だと思います。
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